銀行員

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京都の信金に就職

先日 図書館に行った帰り高槻の『のらや』に寄りました。
とりあえずビールとうどん定食を注文して待っていると、隣の個室に5人の真っ黒のスーツにカバンを下げた若い女性がドシドシ入って来ました。

のらや

ここは籐の簾で仕切られているだけの個室で耳をそばだてる事なく隣の物音は筒抜けです。

『今日は◯件訪問できました』『◯◯さんってところで資金需要の話が出ました』
『長期の運転資金案件だと思う』『担保や保証の話はできてないけどマル保案件でしょう』
『帰ったら纏めて報告します』
ソソクサと食事を済ませ、世間話もそこそこにして出ていきました。

恐らく近くの銀行の支店の女子行員の周辺開拓じゃなく、本部の融資部の先鋭部隊の応援だったようです。

懐かしく淡々とした会話を楽しみながら聞いていました。

私は学生時代はファッションやマーケティングに興味がありました。

就職先も「ワコール」「福助」「鈴屋」等を狙い最終「きもののやまと」に決まりました。

3月に入り東京代々木のオリンピックセンターにて15社ほどが一斉に実施する、入社前教育セミナーに参加していました。

10日間のセミナーの3日目になって急に呉服の販売が嫌になり、突然辞めると言い出したのでした。

昭和50年頃はおおらかな時代だったのでしょう。

「やまと」の社員さんに帰りの新幹線まで送ってもらい大阪に帰ってきました。

大阪に着いてすぐに実家には帰り辛く、京都に行きました。

「やまと」の岡山県の支店に配属が決まっており、今は亡き母が布団袋と布団一式や細々した食器などを買い込んで、送ってくれていたこともあり、面目なく、すぐに帰れなかったのです。

その足で大学の就職課を訪れ事情を説明して再就職に臨みました。

金融機関なら将来安定する(何が?)と安易に考え銀行を目指そうと考えたのですが、就職課の方が親身になって相談に乗ってくれ『京都で金融機関を探すなら信金のほうが知名度も上だし、仕事のやり甲斐がある』と教えられました。

私は大阪育ちで京都の事情は知らず、信金は都市銀行よりずっとランクが下だと考えていましたが、とりあえずどこか決めることが先決で親を安心させることにも繋がると考え信金に入ることに決めました。

京都の信金は京都発祥の世界規模の企業、「村田製作所」「村田機械」「ワコール」「オムロン」「日新電機」「任天堂」等々がまだ中小企業だった頃から育て上げた金融機関であり、それぞれの規模が拡大して信金と取引できなくなった企業ばかりであるため (信用金庫法で従業員数や資本金に規制がある為) 離れていっても人間同士の繋がりは継続され、それぞれの取引先・下請けとの繋がりは蜜であり、都銀が入り込む余地は全く無い状況なのです。

また信金から巣立った大企業は体力が強大であり、自社で充分 資金調達が賄え、都銀に頼る必要もない現状だったのです。

そして地域住民・寺社仏閣・地場産業との繋がりも他府県とは比較できない程密接なのです。

この信金自体の経営方針や体質については別に記事を書いていますのでそちらを参照してください。ここではあくまでも仕事の内容だけに留めます。

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