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「慰安婦合意検討タスクフォース」の検討結果発表

(2017.12.27 外務大臣談話)

カン・ギョンファ外交部長官と河野太郎日本外相が今月19日、東京飯倉公館で会談を行う前に握手している//ハンギョレ新聞社

韓国外交部(に相当)長官直属の「韓日従軍慰安婦被害者問題合意検討タスクフォース(TF=作業部会)」は27日、2015年12月の慰安婦合意時に「韓国政府は少女像移転のため努力するなどの『非公開合意』があった」という内容が含まれる報告書を発表した。

しかし、政府は「報告書の内容を謙虚に受け入れる」と述べただけで、「合意破棄」や「再交渉」には言及していない。つまり、国内世論と韓日関係のはざまでどっちつかずの立場にあるのだ。日本政府は同日、「合意を変更(破棄・再交渉)しようとすれば、両国関係はマネージ(管理)不能になる」とコメントしました。

文在寅(ムン・ジェイン)大統領は大統領選挙時に合意無効と再交渉を主張していたが、大統領府は同日、「検討する時間が必要なのできょうはコメントを出さない」と述べた。

本文

1 本27日,韓国外交部長官直属の「慰安婦合意検討タスクフォース」が,平成27年12月28日の慰安婦問題に関する日韓合意についての検討結果を記載した報告書を発表しました。同報告書は,合意に至るまでの韓国国内における交渉体制や合意の内容について批判するものであり,既に両国内で履行されている合意につき疑義を呈するような考え方が韓国政府に対して示されました。

2 一昨年末の日韓合意は,民主的に選ばれた日韓両首脳の下で,外交当局間の局長協議を含め,あらゆるレベルで努力を行った末に,当時の岸田文雄外務大臣と尹炳世(ユン・ビョンセ)韓国外交部長官が,慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的」な解決を確認し,共同記者発表において表明したものです。また,同日に行われた首脳電話会談でも「最終的かつ不可逆的」な解決を確認しており,この合意は両国首脳間の合意でもあります。この合意は,両政府間において正当な交渉過程を経てなされたものであり,合意に至る過程に問題があったとは考えられません。

3 日韓合意は,両政府間の合意であるとともに,国際社会からも高く評価されたものです。今般の報告書には,韓国政府の日韓合意についての立場は含まれていませんが,日本政府としては,韓国政府が同報告書に基づいて,既に実施に移されている合意を変更しようとするのであれば,日韓関係がマネージ不能となり,断じて受け入れられません。日本政府としては,韓国政府が合意を「最終的かつ不可逆的」なものとして引き続き着実に実施するよう,韓国側に対し,強く求めます。


このように最近のニュースを見ても基本的なことが判らず、取っ付きにくい問題ですね。
他人の意見を鵜呑みにしないで、史実に基づいて見ていきます。

慰安婦とは何か

戦時中、日本軍の関与の下で作られた慰安所で、将兵の性の相手を強いられた女性。政府は1993年8月に河野洋平官房長官が発表した談話(河野談話)で「当時の軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題」と指摘しました。

慰安婦についての当時の地図

どんな人々が慰安婦にされたのか

日本本土(内地)の日本人のほか、日本の植民地だった朝鮮半島や台湾出身者も慰安婦にされた。日本軍の侵攻に伴い中国、フィリピン、ビルマ(現ミャンマー)、マレーシアなど各地で慰安所が作られ、現地女性も送り込まれた。オランダの植民地だったインドネシアでは現地女性のほか、現地在住のオランダ人も慰安婦とされた。政府は38年、日本女性が慰安婦として中国へ渡る場合は「売春婦である21歳以上の者」を対象とするよう通達した。21歳未満の女性や児童の人身売買や売春を禁じた「婦人及び児童の売買禁止条約」のためとみられる。ただ政府は25年に条約を批准した際、植民地を適用除外とした。このため植民地や占領地では売春婦でない未成年女子も対象となった。朝鮮からは17歳、台湾からは14歳の少女が慰安婦とされたとの記録がある。

何人くらいいたのか

総数を示す公式記録はなく、研究者の推計しかない。現代史家の秦郁彦氏は93年に6万~9万人と推計し、99年に2万人前後と修正。吉見義明・中央大教授(日本近現代史)は95年に5万~20万人と推計し、最近は5万人以上と改めた。

慰安所はいつ、どんな経緯で作られたのか

満州事変の翌年、32年の上海事変で日本兵が中国人女性を強姦(ごうかん)する事件が起きたため、反日感情の高まりを防ぐため九州から軍人・軍属専用の慰安婦団を招いたとの記録がある。その後、性病蔓延(まんえん)による戦力低下や機密漏洩(ろうえい)の防止、軍人の慰安のためなどの理由が加わった。

どのようにして集められたのか

多くの場合、軍の意向を受けた業者がまず日本国内で、さらに植民地の朝鮮や台湾で集めた。「仕事がある」とだまされたり、親に身売りされたりした場合も多いことがわかっている。
一方、フィリピンやインドネシアなど占領地では、日本軍が直接暴力的に連行したとの記録もある。フィリピン政府の2002年の報告書によると、同国で日本軍は、現地の女性を暴力的に拉致・連行して日本軍の兵営とされた教会や病院に監禁し、集団で強姦を続けた事例もあったという。

慰安婦の暮らしは?

アジア女性基金のサイトでは「(慰安所で)兵士は代金を直接間接に払っていたのはたしかですが、慰安婦にされた人々にどのように渡されていたかははっきりしません」と記す。戦況や場所により処遇にばらつきもあったことが推定される。政府は93年、河野談話とあわせて調査結果を発表し「戦地では常時軍の管理下で軍とともに行動させられ、自由もない生活を強いられた」と説明している。

慰安婦問題が国内で知られるようになった経緯は

戦後まもない時期から兵士の体験談や手記で触れられていた。70年6月、作家の故千田夏光氏が週刊新潮で「慰安婦にさせられた」という女性や旧軍関係者の聞き取りを紹介。73年にルポ「従軍慰安婦」を刊行した。当時はまだ戦時下の秘史という扱いだった。(この「従軍慰安婦」という書籍については後に述べます)

日韓間の問題として認識されたいきさつは

90年1月、尹貞玉(ユンジョンオク)・梨花女子大教授が韓国ハンギョレ新聞に「挺身(ていしん)隊『怨念の足跡』取材記」の題で慰安婦問題の記事を連載。5月の盧泰愚(ノテウ)大統領訪日をきっかけに、植民地時代の朝鮮半島で日本の軍人・軍属とされた韓国人らから日本に謝罪と補償を求める声が高まった。

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