ああ銀行員!どうせならトップを狙うしか・・・よし!

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最初の仕事

京都の信用金庫に1ヶ月遅れで入社しました。

各支店では新入行員の研修も終わり配属も済んでいた為、とりあえず本部付けで集金でもしてくれ、というわけで西陣の織物工場・染色工場・金糸銀糸会社・繊維問屋・酒販問屋等を軒並み集金だけをして1年間回りました。

この1年(11ヶ月)が後々役に立ったのでした。
仕事は単に積金の集金だけなのですが、西陣の織物・染色・金糸・銀糸・繊維関係、土地勘だけでなく工場の操業の程度(当時から繊維不況の操業規制は始まっていました)、活況が手に取るように判りました。

高級な織物工場、普通の織物工場、古来大陸から伝承された韓国人の織物工場等が区分けして存続する西陣の町はあたかも京都の縮図のようで、後の仕事にも大いに役立ったと思います。

西陣

移動出張所とは?

1年後長岡京市の支店を母店とする移動出張所という所に配属されました。

長岡京市は長岡天満宮や光秀の娘 細川ガラシャが嫁いだ勝竜寺城跡のある町です。

移動出張所とは日本初の動くバスの銀行なのです。
大山崎町に2拠点、京都市内に1拠点用地を購入し、3拠点に機械端末の倉庫を建て
バスで向かい直径30センチの端末を接続してオンライン業務が出来るようにしたものです。

出張所

バスの片横は図書棚になっており駐車中は地域住民に無料で図書の貸出も行いました。
テラーの女性2人と運転手と、私はバスには乗らずに3拠点の周辺の顧客をバイクで新規訪問
して、個人の預貯金を集めたり、個人商店や企業先の資金需要を掘り下げたりしました。

3拠点はいづれも近隣の支店のテリトリー内ではありましたが、まだ未開拓な地域ばかりであり、
新規軒並み訪問を繰り返しました。

まだ銀行の内部の仕事は全く知らず札勘の仕方すら知らないままの自分に出来ることは、ただひたすらパンフレットと名刺を配り、とにかく玄関先に顧客に出てきてもらい、話をすること(顔を覚えてもらうこと)だけを毎日繰り返していました。

当時 名刺は月平均1000枚は配っていました。
上司から注意されることもなく、たった一人での活動だった為 兎に角がむしゃらに訪問件数を増やしていきました。

融資の話があり困ったときは母店にいくらでも相談に乗ってくれる上司がいたのも心強かったのです。

サボって喫茶店で昼寝することもいくらでも出来ましたが、当時は意外と真面目に仕事をしていました。

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