伊藤寿永光・河村良彦ってどんな人?

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当時 捜査の陣頭に立った大阪地検特捜部は、ゴロゴロしている2桁(10億)より3桁(100億)を立件すると言っていたそうです。

この事件には10億円なんて滅多に出てこなく、ほぼ100億円以上のカネがどうしたこうしたという話ばかりです。

伊藤寿永光
伊藤寿永光

例えばイトマンを金ヅルにしようと近づいた協和綜合開発研究所(実体は山口組の企業舎弟である地上屋)の伊藤寿永光の抱える借金は1800億円あったそうですし、現役の暴力団組長でコスモポリタン会長だった池田保次が伊藤に対して踏み倒したのは284億円、イトマンが許永中を通して買った絵画は557億円に登ります。

そんな中で、イトマン社長だった河村良彦が横領した10億円が思わずはした金に見えてしまうほどです。

その他にも、暴力団やら今も活躍している?下膨れの元警察の政治家やら、株券偽造やら宗教法人買収やら「街金の帝王」やら自殺やら失踪やら新聞記者がカネもらってたとか、この事件はもうバブルの吹き溜まりです。

 

イトマンという会社の起源は明治16年だそうです。繊維商で2次大戦敗戦も乗り越えたが、多角化したあとにオイルショックに引っかかり、44億円の大幅欠損を出し、経営立て直しの為にメインバンクの住友銀行から人材が送り込まれてきました。これが河村良彦

河村良彦
河村良彦

彼は、高卒で叩き上げの優秀なバンカーで1975年に常務になると、イトマンに出向し、半年で5代目社長に就任、創業以来の大欠損を抱えたイトマンの経営を立て直し、累積赤字を一掃した。78年には復配にこぎ着け、3年間で奇跡のV字回復を実現した人物です

しかし、以降 河村良彦の信条であった増収増益路線は、多角化のもと強引に突き進んだ新規事業の相次ぐ失敗などで破綻していく。頑ななまでの増収増益への拘りが、逆に災いしたのでしょう。

 

で、間の悪いことにバブルが始まり、イトマンファイナンスや伊藤萬不動産販売などの関連会社をフル稼働させ、本業以外のカネのなる木に頼らざるをえなくなっていたといえます。

 

イトマンのしていたこととは、仮に100億円借りたいという人がいると、150億円貸してやって30億円を企画料(経営指導料)20億円を利子として持って帰ることで、帳簿上は一旦儲けとして計上していた。これを繰り返して決算を誤魔化していたという、現在では想像を絶する事を普通にやっていたのです。

 

一方 伊藤寿永光は、コスモポリタン社会長や大阪府民信用組合理事会長に対し、雅叙園観光の仕手戦に関して融資していた200億円のの資金が焦げ付いて資金繰りが窮する中、住友銀行の磯田一郎会長やその腹心である河村良彦に急接近し、伊藤萬の経営に筆頭常務として参加するようになり伊藤萬を介して住友銀行から融資を受けるようになったのです。

絵画事件の方はもう滅茶苦茶です。

闇のフィクサー許永中が間にいたのですが。絵画の出処は住友銀行を14年に渡って支配していた磯田一郎の娘 黒川園子です。

西武百貨店の一課長である福本玉樹がニセの鑑定書を付けて、許永中のグループが実勢価格200億円超の絵画百数十点を550億円でイトマンに売っていた。

 

そんなカネどこにあったのか? 1991年1月の時点で、住友銀行がイトマン本体とイトマンファイナンス、伊藤萬不動産販売に貸し付けていたカネはなんと5300億円。イトマン主要三社全体の借入金は1兆1千億円に達していたのです。大阪府民信用組合を通った富士銀行の資金とかもう滅茶苦茶な状況でした。

 


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