安室奈美恵

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NHK特別番組『安室奈美恵「告白」』より

昨日(2017.11.23) NHKで特別番組『安室奈美恵「告白」』が放映されました。
来年9月に引退する安室ちゃんが過去の番組映像などを観ながら、その時々の想いを語る――といった内容でした。
昔からの安室ファンにとっては、少し物足りなかったのでは?

インタビューで家族・離婚・母の死などには触れないというのが芸能界の掟になっているようで、昨日のNHKでもスルーされていました。

しかし彼女の試練はそのつど報道されてきたので、40~50代ならみんな知っていることですよね。
何があっても動じない超越したタフさが彼女のカッコ良さの真髄なんですが。

でもデビュー前の「沖縄時代」のエピソードを知ると根性の座り方がハンパじゃない彼女の原点が見えてきます。
亡き母、平良恵美子さんが書いた自伝『約束 わが娘・安室奈美恵へ』には子供時代が赤裸々に書かれています。

亡き母・平良恵美子さんが書いた自伝『約束 わが娘・安室奈美恵へ』(98年、扶桑社刊、絶版)
亡き母・平良恵美子さんが書いた自伝『約束 わが娘・安室奈美恵へ』(98年、扶桑社刊、絶版)

「白人」とのクォーター

恵美子さんの母親(つまり安室ちゃんの祖母)は、米軍基地で働きながら、恵美子さんを生みました。

「父親がどこの誰かは知りません」、父親の国籍も不明で「わかっていることは私が白人とのハーフであることだけ」恵美子さんの母親は、米軍基地で働きながら、恵美子さんを生みました。当時の沖縄では珍しいことではありませんでした。

これまでずいぶん“ハーフ差別”を受けた恵美子さんは、娘・奈美恵さんが“クォーター差別”を受けるのではと心配したそうです。

【プロフィール等 別記事もご参照下さい→メディアが報じる『安室奈美恵』の引退理由・・・

極貧だった子供時代

安室さんが4歳の時、両親が離婚。夜逃げ同然で家を出て、恵美子さんが保育士とスナックのホステスをかけもちして3人の子供を育てました。

別記事にも書きましたが、安室さんが小学校4年で「沖縄アクターズスクール」に学費免除でスカウトされた時も、往復260円×週3回のバス代が払えない。そこで往復3時間かけて歩いて通ったのは有名な話です。
小学生が往復3時間ですよ!?

「バス代が欲しいとか弱音を吐いたことは一度もなかった」と。「ネクラ」で、何も欲しがらない、文句ひとつ言わない子だったそうです。

「中学を卒業したって食べられない」 じゃない!

アクターズのイベント出演等で中学校を休みがちになり、教育委員会に呼び出された時のこと。
中3の安室さんは、こうタンカを切ったそうです。
「卒業できなくてもかまいません。中学の卒業証書があっても将来ごはんが食べられるわけではありません。私は歌でお金を稼ぎ、りっぱにやっていきます。そしてお母さんを楽にさせてあげたいんです」と。

そして「スーパーモンキーズ」として上京。デビュー後に、テレビの企画でようやく卒業証書をもらったそう。

母は離婚後、昼は保母さん・夜はホステスという寝るヒマもないスケジュールで、それに子育てという一番大変な作業が加わり、お母さんの苦労というよりも人間としてとても大変な時期だったと思います。
でもここで子供を見捨てたり、ギャンブルや借金をしてお金を得ようとしなかったところが、さすがです。
自分の人生よりも子供の人生が大切。そのためには働くしかない。  かっこいいです。

『うちにはお金がないことを子供達もよくわかっていて、「なにか買って」ということはめったに言ってきませんでした。奈美恵も上の二人がそうだから、小さいながらもわかっていたんでしょう、私におねだりしたことはほとんどありません。』

『でも、たった一度だけ、「ピアノが欲しい」と言ってきたことがあります。ちょうど小学校4年生の頃、アクターズスクールに通い始めて音楽に目覚めた頃です。
保育園や学校でオルガンをやっていたから、心底欲しかったんでしょう。
寝言でも「ピアノ」と言っていたほどです。
でも、我が家の経済状態では、ピアノどころかオルガンも買えません。たとえ買えたとしても、狭い団地では置く場所もありません。
ふだんならあきらめさせるところですが、「あれ買って、これ買って」と言ったことのない奈美恵が、寝言にまで出るほど欲しがっているんです。
幼い頃から画用紙にピアノの鍵盤を描き、それを弾いて口で音を出してピアノの練習のつもりでいた奈美恵の、唯一のわがままでした。親としては、なんとかしてやりたいんです。でも無理でした』

『小学生時代の奈美恵は根クラでした。
家に誰かが来ると後ろに隠れてモゾモゾしているような子だったんです。
(中略)
たとえば、着るものだって、ほとんど姉のお下がりばかり着ていたし、ときには私が学生時代に着ていたミニスカートをはくこともありました。
娘のお古どころか、母親のお古まで……。
それでも奈美恵は文句ひとつ言わずはいていたんです。たまには甘えることがあってもおかしくないのに「私もこんなスカートが欲しい」と言ってきたことは一度もありませんでした。

芸能人になった今も、その感覚は基本的に変わっていません。

洋服やブランドにはほとんど関心を持たず、たまにワイドショーなんかで奈美恵の普段着姿が映りますが、まったくあのまま。着るものにはまったくお金をかけないんです。

昔お父さんにもらった500円の内から100円を使って1本のカーネーションを買い、母の日にプレゼントしたっていうエピソードが感動的でした。

この本が出版された半年後、恵美子さんは他界されました。
義弟に殺害されるという、あまりにも残酷な現実。

でも当時、安室ちゃんはすぐに泣けなかった。マスコミが空港やら会場やらに押し寄せていたから。

母の殺害事件から、わずか13日で大舞台へ

安室ちゃんの支えでありつづけた母・恵美子さんが、1999年3月17日に死去。それも義弟に殺害され、その義弟もほどなく自殺するという凄惨な事件でした。
そんな事件があったら当分立ち直れない…と思いきや、安室さんは事件13日目の29日、テレビに生出演し、観客1万人のホールで熱唱してみせたのです。

ドレッドヘアに花柄スカートで登場し、笑顔で「元気です!」と言う姿に、「やっぱりタダ者ではない…」と痛感したものでした。

安室奈美恵

こう見てくると、気軽に「安室ちゃんに憧れる」とか言えなくなるほど、重い荷物を背負って走り続けてきた彼女。
そろそろ平穏な日々を送りたいのかもしれませんが、やはり引退は惜しい!という思いが募るのです。

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