サヘル・ローズ

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想像以上に壮絶すぎた、サヘル・ローズの半生

バラエティ番組などで現在 活躍中のサヘル・ローズさん。いつも明るく笑顔が印象的なタレントさんですが、これまで彼女が歩んできた半生は、想像以上に壮絶なものでした。

サヘル・ローズ著『戦場から女優へ』

サヘル・ローズさんのプロフィール

サヘル・ローズ(Sahel Rosa、1985年10月21日 – ( ساحل روزا ))は、イラン生まれの日本のタレント、モデル。

所属事務所はエクセリング。

身長 / 体重  170 cm / 52 kg

スリーサイズ 88 – 59 – 89 cm

カップサイズ D

靴のサイズ  24.5 cm

都立園芸高校出身、東海大学卒業

ITを専攻しており、セキュリティのプログラミングやJavaなどを学びました。

高校卒業と同時に東京アニメーションカレッジ専門学校声優学科声優アクターズコースも卒業しています。

1985年、イラクとの国境近くの町で11人兄弟の末っ子として生まれた。
当初は養子に引き渡される予定でいたが、養子に出されずそのまま暮らすことになったという。

土を塗り固めて乾燥させただけの家に両親と合わせて13人で暮らしていました。

父は大工をしていたが、手間賃では13人家族は養い切れず、その日食べるものを兄姉で奪い合うような日々だったそうです。

戦火によって突然、全ての家族を失ったサヘル

毎日空襲警報におびえていた1989年2月下旬の夜。イラクによる大規模な空襲が行われ、町の住民400人がほとんど死亡。
彼女が4歳のとき、当時イランイラク戦争中で、境界線でサヘルの住んでいた村を取り合っていたという。

テヘランから遠く離れた町で大規模な空襲があったという情報が病院に入り、医師・看護師・救急隊員たちが現場へ入った。

そして4日後、当時大学生でボランティアの救助活動を行っていた、フローラ・ジャスミンが、瓦礫の中からサヘルを発見した。

がれきの中に小さい手が見え、人形の手だと思ったらサヘルの手だったという。
孤児となったサヘルの手を取ったのが、この女子大生。
体調が回復すると、戻る家庭のないサヘルは孤児院へ送られることになる。

孤児院ではいつも「死にたい」と口にしていたという。
しかしサヘルを救助したボランティアの女子大生、フローラが数ヵ月後、サヘルを引き取った。

7歳の頃のサヘル・ローズ

サヘルを見舞った際に幼いサヘルが自分を「お母さん」と呼び慕ったことから、サヘルを引き取ることを決意したのだという。

ちなみにサヘルの本当の生年月日や名前は分からず、サヘル・ローズという名前は、後に付けられたという。
サヘルという名は祖母が、そしてローズという名前はバラを育てるのが好きだったフローラがつけてくれたのだという。

一族からの追放~そして日本へ

非常に高い身分であったフローラの実家は、孤児であるサヘルを養育することを「家柄に傷がつく」として猛反対
結局フローラの実家からの援助はなく、2人で餓えを忍ぶ生活が始まった
その後、一族から追い出されたフローラは、日本に来ていたフィアンセと電話で相談し、サヘルと一緒に来日することになった。

日本での在留資格について

ネットでは『日本にフィアンセが居るくらいでビザが下りる訳がない。これは嘘だ。』と散々書き立てられていましたが、フローラさんは日本の永住権を取得しているそうですから、養女のサヘルさんも永住権を持っていてもおかしくないですよね。

フローラさんのホームページ https://iranflorajasmine.jimdo.com/プロフィール/

には日本で5年間、法学を学ぶ。
裁判所、移民局、警察署、第二東京弁護士会、入国管理局にて、法律に関わる仕事に携わる。
日本在住20年。永住権を持つ。

サヘルとフローラ

来日してすぐにホームレスとなった親子

1993年、日本に留学中の婚約者のイラン人青年を頼り、来日した。フローラ23才。サヘル8才の時だった
日本に渡って新しい生活を夢見たサヘル親子だったが、幸せな期間はわずか数週間しか続かなかった。
フローラの婚約者は、ユニットバス付きの6畳一間に住んでおり、婚約者が小学校へのサヘルさんの入学手続きをしてくれたという。
しかし彼がサヘルに虐待などし始め、生活が上手くいかなくなり、フィアンセと別れることとなった。
同居からわずか一週間ほどで暴力を振るい始めたフィアンセ。

結局「好きな人ができたから、出て行ってくれ」と告げ、親子を追い出したという。

「私がいなかったら、母は普通に結婚して家庭を持っただろう。申し訳ない。一人の私が母の人生を台無しにしてしまった」とサヘルは述懐する。

行く場所がない2人は、公園の土管の中で寝るようになったという。

そんな日々から救ってくれた人がいた。小学校の給食調理員の女性だった。

ホームレス生活を送っていたときに手をさしのべてくれた「給食のおばちゃん」。アパートの保証人になったり、夕飯の差し入れまでしてくれたという。

サヘルは「いくら感謝してもしきれません」と語っている。

公園で寝るようになって2週間ほど過ぎた頃、に「何か困ったことがあるんじゃないの?」と声を掛けられたことがきっかけで、アパートや仕事などを世話してくれたという。

毎日同じ服を着て、給食だけで飢えをしのいでいたサヘルを見て、給食調理の女性がアパートの保証人になったり、フローラにペルシャ絨毯を織る仕事を見つけてくれたという。

しかし学校では、「イラン人はいらん」などと苛められた。だが、母を心配させないために、帰り道で泣き続けても、家に着くと笑顔を作った。
当時の担任教師は、そんなクラスのいじめの状況を知っていたはずなのに、見て見ぬふりをしていたという。

陰湿ないじめを苦に自殺を決意したサヘルだったが…

極端な貧乏生活をおくり、学校では陰湿ないじめにあっていたサヘル
ある日学校を早退して、母がいないうちに命を絶とうとしたサヘル。しかしいないはずの母が家にいて、部屋の隅に座って泣いていたという。
「どうしたの?」とサヘルが尋ねると、母は「もう疲れた」と一言つぶやいた。
そんな母の手を握りしめたときに、若かった彼女の手が皺だらけでゴワゴワになっていることに気づいた。
サヘルは自分のために苦労してくれた若くて綺麗な母が、年老いたことに気づき、その恩返しをしようと決意したという。

サヘル・ローズ
『そのとき私は、これまで彼女に「ありがとう」と言ったことがなかったことに気づきました。この人に恩返しをしよう。そう決意しました』と。

恩返しを決意したサヘル~タレント・女優の道へ

女子学生となった頃、生活のために女優を目指し、いくつかのオーデションを受けていたサヘル。

高校3年生のとき、ラジオ局で「日本語の話せる外国人」のリポーター募集に合格。

J-WAVE史上最年少リポーターになった。

その後、仕事をしながら、母の願いだった大学にも通い、無事卒業。

進路を考えた時、イランで見たドラマ「おしん」を思い出した。

家計が苦しい養母に、恐る恐る「女優になりたい」と言ったら、養母は「好きな道に進みなさい。応援するから」と賛成してくれたという。

タレントとして飛躍するきっかけとなった「滝川クリサヘル」

「そっくりものまね紅白歌合戦」の「顔だけそっくりさんコーナー」に出演することになったサヘルは、誰に似ていると言われたことがありますかとの質問に、「山本モナさんと滝川クリステルさん」と書いて提出。その番組を見た、「THE・サンデー」の担当者から出演依頼の電話があり、「滝川クリサヘル」が誕生したという。

その後、バラエティ番組で脚光を集め、舞台やテレビで活躍の場が増えていったサヘル。

「イラン人であること、母と一緒にここまで生きてこられたことが私の誇りです」サヘル・ローズ。

サヘル・ローズ

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