憂歌団

『憂歌団』かつて憧れた”関西ブルース”

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 ★《Yukadan 59minute live憂歌団 生聞59分 自作回転シェル》

オイラが最初にコイツ等と会ったんが京都の拾得って酒蔵を改造したライブハウスでした。
酒樽を椅子にして汚いテーブルがあるスペースでした。
大学の2回生で1973年頃だったと思います。
ちょうど学生運動も下火になってきて、連合赤軍が浅間山荘に立てこもり仲間内の同士14名を殺し、最期のあがきを見せた頃でした。
オイラは高校時代からロックやブルースのバンドを組んでいて本場京都のロックやブルースに触れようと拾得や京大西部講堂や円山野外などに良く出向いていました。

憂歌団のスタートが1975年なので、結成の少し前でした。
憂歌団

『アホの木村』木村充揮も『勘ちゃん』内田勘太郎もいて、演奏前から観客といつもの言い合い(怒鳴り合い)が始まってました。
飲みながらライブを観る感じです。あちこちからブルース好きが集まってビールやらバーボンやらを飲みながら待っていると木村充揮(当時はまだ本名の木村秀勝を名乗っていました。90年に突如、木村充揮に改名)、内田勘太郎花岡憲二、島田和夫がぞろぞろとステージに上がって来ます。ゆっくりとチューニングしてなかなか演奏をはじめない彼らに「早くやれ~」とヤジが飛ぶと「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待っといてな」と全く動じない木村に客席爆笑。

ステージに上がって15分くらいたってやっと、木村がハンチング帽をかぶり直し、ぐいっとバーボンを飲み干して「ぼ、ぼ、ぼちぼちいこか!」と声をかけ、憂歌団が演奏をはじめるとその一音目から客席は圧倒され、そしてそのジャンプするリズムに客席が揺れはじめるのです。
憂歌団

憂歌団 マディ・ジャンプス・ワン~10$の恋

 メンバー紹介

◎木村充揮(きむらあつき) 1954年3月24日生(63)
本名:木村 秀勝(きむら ひでかつ)朴 秀勝(ぱく・すすん)
「憂歌団」リード・ヴォーカル『天使のだみ声』
大阪市生野区
生まれ。大阪市立工芸高等学校美術科卒業。
和田アキ子北朝鮮金正恩の生母金容姫が育った生野の朝鮮部落出身

◎花岡献治(はなおかけんじ)1953年7月27日生(63)
本名:花岡憲二
「憂歌団」ベース
大阪市内産まれ

内田勘太郎(うちだかんたろう)1954年1月22日生(63)
本名:内田昌宏
「憂歌団」リード・ギター
大阪市内生まれ。大阪市立工芸高等学校美術科卒業。

◎島田和夫(しまだかずお)1954年3月19日―2012年10月2日(自殺)
「憂歌団」ドラマー
大阪市港区生まれ。大阪市立工芸高等学校美術科卒業。

島田・木村・花岡・内田
島田・木村・花岡・内田

黒人ブルースを彷彿させる神演奏

黒人奴隷解放以後、表面上は自由を獲得した黒人達にとって、これまで以上に厳しい差別的州法がどんどん制定されていく。
広大な綿花畑で働く黒人たちのワーク・ソングに故郷アフリカを想う黒人霊歌の影響を受けて産まれたブルース。

一攫千金を夢見てデルタ地帯を去り北部(特にシカゴ)に向かっての民族大移動・・・

生活は少しも楽にならず『もう死んでしまいたい! でも頭を打ち抜くピストルを買うカネもねえ』・・・

憂歌団 ’98Live 06 嫌んなった、CMメドレー

1972~1976年
京都でブルーズがブームとなる。憂歌団も京都で活躍する。ウェストロード
上田正樹などのエレクトリックブルーズバンドに混じって
アコースッティック・ブルーズの魅力を強調していく。
1974年頃京都のブルーズ・ブームが爆発。憂歌団はドラムに島田、ベースに花岡
が加わる。ライブハウス「拾得」「京大西部講堂」同志社、立命館
始め、学園祭を制覇する。この年の春からマネージャーに奥村ヒデマロ氏が就任。
北海道をツアー氏、洞爺湖畔の温泉地で合宿?「おそうじオバちゃん」
「ドツボ節」が萌芽する。このツアーの帰路、トリオレコードのディレクター
中江氏と吉祥寺「まんだら」で遭遇、ショウボートレーベルからの
レコードデビューが決定する。8月、幻の「夕焼けコンサート」で伝説的な
名演奏を行い、特に関東方面の音楽ツウにエラク受ける。10月1日、シングル
「おそうじオバちゃん」でデビュー、赤丸付でチャートインする。が、しかし、
1週間後に突然「放送禁止Aランク」の指定を受け、有線放送からも締め出し
をくらう。しかし、11月1日に発売された「鬼気せまるヴォイス、圧巻の
ボトルネック、幻の憂歌団その真実とは…」という、デビューしたて
の若いバンドに対するものとは思えないキャッチコピーで発表された
ファーストアルバム「憂歌団」は大好評を博した。東京の初コンサートは
銀座のヤマハホールに「久保田麻琴と夕焼け楽団」をゲストに迎え行った。

当時 拾得で木村は『最近しょっちゅう東京からバンドがセッションしに来よる』『ほんでみんなションベンちびって帰りよる』
確かに憂歌団の演奏は土臭くドロドロした流れで黒人ブルースそのものって感じだったけれど東京の奴等の演奏は無意味にブルース理論で武装してコマっしゃくれたアドリブは聴いていて『ヘドが出る』って気分でした。

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憂歌、再び! 木村充揮と内田勘太郎のスペシャルインタビュー

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憂歌団 シカゴバウンド

ブルース・コードの練習

オイラも当時は勘ちゃんのギターのコピーに必死やった。
普通 Cのコードは左人差し指で3フレッドをバーとして押さえ、5フレットの2・3・4弦を左小指・薬指・中指で押さえるのだが、2・3・4弦を左薬指1本で押さえるやりかたです。
すぐ覚えました。これができるとコード変更が3倍速く出来るだけやなしに、左小指で1弦6フレッドを押さえたり、右ピックや右人差し指でライトハンドも安心して出来ます。

やってみてください❢❢ ・・・ ねっ❢ 😛 

これは別にブルース・ギター専用のコードでもないんやけど、すべてに利用できる便利モノや。

『木村 ❢』 最近なんや肥えてきて気色悪いオッサンになってるやん!

もうお互いにエエ歳やし病気とかならんように気いつけてまだまだ頑張ってやぁ ❢

 

 

 

 

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