イトマン事件って覚えてらっしゃいますか?
イトマン事件って言葉は憶えていても詳しい内容についてはもう忘れてしまっている方がほとんどだと思います。
朝日新聞大阪社会部著『イトマン事件の深層』に詳しく取り上げられていますが、約20年前、戦後最大の経済事件といわれたイトマン・住友銀行事件のことです。
簡単に紹介すればイトマンという東証上場の中堅商社を舞台にした一連の事件で、1年足らずのあいだに約3,000億円もの巨額の資金が闇の世界に引き出され、株、土地、絵画、ゴルフ会員権などの『バブルの神器』に形を変え、雲散霧消していきました。
時の背景はバブルです。バブル経済の元凶を探れば低金利で金余りを演出した国の経済政策にたどりつきます。その「国策」のもとで、地価と株価が狂乱し、給与所得者は一生真面目に働いても、家一軒買えないという状況が生まれました。
資産格差は拡大の一途をたどる中、巨額のカネが複雑なルートで動いた事件は、庶民感覚とかけ離れていたが、一般庶民に関係ないようでいて、実際には庶民が働いて稼ぎだした資産や預金が食いつぶされて、一部の者が甘い汁を吸っていたわけです。
いろんな魑魅魍魎が登場し、互いの資金の流れがとても複雑です。
そんな中で私は、こういった書籍や新聞に掲載された内容のみで紹介していこうと考えました。当時、週刊誌等で噂になった話題は史実の裏付けが無いからです。
背景のバブル経済とは
資産価格が、投機によって実体経済から大幅にかけ離れて上昇する経済状況。多くの場合、信用膨張を伴う。価格の高騰が投機の誘因となる間、バブル経済は持続するが、ファンダメンタルズから想定される適正水準を大幅に上回るため、金融引き締めなどをきっかけに市場価格が下落しはじめると、投機熱は急速に冷め、需給のバランスが崩れ、資産価格は急落する(バブルの崩壊)。名称は、泡(バブル)のように膨張し、あるきっかけで破裂するところから。
[補説]日本では特に、1980年代後半から始まり1990年代初頭に崩壊した、資産価額の高騰による好況期を指す。
デジタル大辞泉より引用
『イトマン事件の概略』
大阪の繊維系中堅商社イトマンは、繊維不況の影響で業績が悪化。経営建て直しのために、メインバンクである「 住友銀行 」の役員だった河村良彦を社長に迎えます。
おっとり的な社風を河村社長は「 モーレツ経営 」で変え、業績も回復。「 中興の祖 」と 高く評価されます。
繊維だけでは発展が見込めないと考えた社長は、「 川下戦略 」である、消費者に近い事業を展開させる事を決意、有名だった「 イトマンスイミングスクール 」を含む、様々な事業を手がけますが、玩具の自販機販売事業など、失敗する事業も出てきたり、居酒屋「 つぼ八 」は、当初はフランチャイズの加盟側だったのを、「 儲かる事業だから 」と役員を送りこんで乗っ取り、他の加盟店が離脱するなど 話題になったりします。
失敗による減益で責任を追及されることを恐れた河村良彦は、不動産事業の拡大に力を入れますが、実態は利益を確保する為だけの帳簿操作にも似た、不健全なものが多数でした。
『イトマンが不動産事業に力を入れている 』という情報を聞きつけた、地上げ屋 伊藤寿永光が社長に接近。弁舌巧みな彼の話術に、河村は惑わされ、伊藤を不動産事業の責任者に就任させます。伊藤は、自分の手がけていた事業をイトマンとの共同事業にしていくわけです。会社から多額の金を出させますが、それらを自分の借金返済に充てるなど、不正行為を行います。
河村社長がスカウトした伊藤の事業なので役員は何も言えず、勇気を出して忠告した幹部は左遷されたり、と 会社の暴走はエスカレートしていきます。
メインの住友銀行も さすがに危険と感じて伊藤氏の解任を要請。拒否した河村は他の銀行からも資金を借りるなどして事業を継続していきます。
いよいよ不動産や会計の不正が発覚、司法の手が入り、河村社長や伊藤氏は逮捕。会社は創業以来、最大の赤字決算となってしまいます。
住友銀行は 社長を送りこんだ責任を感じていたのか、イトマンは 「倒産」ではなく、住友金属の商社部門、「 住金物産 」に吸収され、長い歴史を誇る「 イトマン 」は終わりをつげることになったのです。
尾上縫の事件
同時期 尾上縫という大阪の料亭のおばあちゃんにいろんな銀行が延べ2兆7000億円以上も融資した事件で、最終的には4300億円の損失が出た事件もありました。「占いで株を買う」というおばあちゃんにこんな巨額の融資が行なわれたのは、興銀が融資していたためといわれますが、その担保になっていた預金証書はにせものでした。(松下幸之助の愛人とのうわさがありました)
尾上縫事件は単純な詐欺事件でしたが、普通はもっと複雑です。特にひどかったのはイトマン事件で、最終的に5000億円の損失を出して会社が消滅し、その損失は住友銀行が全部かぶりました。この事件には今も謎の部分が多いのですが、もとは磯田一郎会長の娘が山口組に誘拐された事件だったといわれています。このとき山口組に掛け合って娘を取り戻したのが伊藤寿永光という人物でしたが、彼が実は山口組の企業舎弟だったのでした。