天才ピアニスト『アリス=紗良・オット』とは
昨夜 フジテレビ「セブンルール」で登場したのが、今 世界で注目のピアニスト『アリス=紗良・オット』さんでした。
アリス=紗良・オット(Alice-Sara Ott)
1988年8月生まれ 30歳
血液型 O型
ドイツ・ミュンヘン出身
日本語・英語・ドイツ語をマスターしているトリリンガル
母 梅山道子(1959年千葉県出身・音大卒)さんが留学先ドイツで知り合ったドイツ語学校臨時講師の工科大生ライナーさんと結婚して生まれたハーフ。
妹のモナ=飛鳥・オットもピアニスト。
母が結婚して、ドイツに住んだ頃は、ドイツ人の一部には東洋人を一段下に見下す人や、東洋人は貧しいからモノを盗むと思い込んでいる人も多く偏見、差別が多かったそうです。
日本から異国ドイツへ来て、屈辱的なことに、子供に石を投げつけられたこともあった。異文化で暮らすことは、並大抵ではなかったから、まずドイツ語が完璧に使いこなせる必要があった。語学ができるだけでなく、ドイツ人の感じ方を知る必要がある。日本人の理解できないキツイ言葉が次々に浴びせらると、日本の感覚では、異国的な文化、主張は受け入れられない。
アリスも、自分がドイツ人か、日本人なのか、どっちの文化を入れるか、葛藤があった。彼女の日常は、平日はドイツの小学校へ行きドイツ人の感じ方、放課後は日本人補習学校へ通って、日本人の感じ方を学んでいた。両方の感じ方を学んでいるから、「自分はどっち」で悩む必要はない、とそう思っていたそうです。
アリスが3歳の頃、ピアノの演奏会へ娘を連れて聴きに行った。それは男性ピアニストの二時間に渡る演奏会でだった。
3歳の幼いアリスが二時間聴くには長すぎて、あちこち見て、落ち着きがなく、演奏を聴いているようには見えなかった。回りの大人がじっと聴いている様子をアリスは観察していた。不思議な行動をしているように見えたのでした。
両親は「この子には音楽は向いていないのかもしれない」と内心思っていた。ところが、長時間の演奏会が終わると、 突如、
「私、ピアニストになる」と、両親に向かって宣言したそうです。
「あちこち見て落ち着きがなかった」この三歳の娘が、なぜ、「ピアニストになりたい」に結びつくか・・・。
それは、一人の演奏家の弾く音楽に、多くの聴衆が静かに集中して聴いていたのを三歳のアリスは、私もこのように人々に聴いてもらいたい、と思ったのでした。
そして、次の日から、アリスは「000126ピアノ(Klavierグラビア)を習いたい」と、言った。
母は「だめ」と答えた。母は、すぐやめるかもしれないし、子供には親がやったから子どもにもやらせるのではなく、「可能性がいっぱいあるから、その中から子供に向いているのがわかってからでいいのだ」という方針でした。
しかし、それからは、アリスは母の顔を見れば「ピアノ(Klavierグラビア)」「ピアノ」と繰り返したそうです。
そんな状態が1年続いたという。このアリスの頑固さに根負けし、とうとう、娘の希望をかなえて、ピアノを習いに行くことになった。
習い始めると、夢中になって練習をして数年で、市内のピアノ演奏会で1等賞を取った。
その後、モーツァルテウム音楽大学のカール=ハインツ・ケマリンク先生に師事し、練習を続けていくことで、めきめき上達していく・・・、才能のある人の演奏は、何もわからない人にも、その腕前が伝わるものです。
数々の受賞記録
アリスはなんと7歳から受賞の連続でした。
1995年 ドイツ連邦青少年音楽コンクール優勝。
1997年 スタインウェイ国際コンクール優勝。
1998年 イタリア・リゲティ国際コンクール優勝。
1999年 ハンブルク・スタインウェイコンクール優勝および特別観客賞受賞。
2000年 グロートリアン・シュタインヴェークピアノコンクール優勝。
2001年 カール・ラングピアノコンクール優勝。
2002年 カール・ラングピアノコンクール優勝。
2003年 リンダウ・ロータリー・ヤング・ミュージックコンクール優勝、
ケーテン・バッハ・青少年コンクール優勝および市長特別賞受賞。
バイロイト音楽祭に招かれ、ワーグナー愛用のピアノを使用してリサイタルを開催。
2004年 イタリア・シルヴィオ・ベンガーリ・コンクール優勝(史上最高得点)、中村紘子の招きにより日本でのデビューを果たす。
2005年 ヨーロッパピアノ指導者連盟コンクール優勝。
2008年 ドイツ・グラモフォンと専属契約を結ぶ。
2010年 「クラシック・エコー・アワード2010」にてヤング・アーティスト・オブ・ザ・イヤーを受賞。
演奏以外では、アリスは今までに世界の色んなブランドと強力な関係を築いています。アリス自ら、ドイツの有名高級ブランド「JOST Bags」のバッグラインへのデザインも提供。アリスのデザインには、日本の折り紙や伝統的なものの要素を含み、さらにバッグの内側にはアリス本人の描いた絵がそのままモチーフとしてデザインされています。
新アルバム「ワンダーランド」のプロモーションビデオにも彼女自身が作った折り紙を使用しています。また、2016年の夏には、アリスがスケッチしてデザインしたLINEスタンプ ”And Here Comes Alice”がリリースされました。
本当の葛藤は日本だった ❢
スターダムへ駆け上がろうとするアリスには、いろいろと演奏会の開催をしなければならない。
日本へ来たとき、日本人と打ち合で痛感した。
アリスは、日本人の瞳をした顔立ちではあるが、しかし、彼女は頭の中はドイツ人の思考をしている。だから、意思がはっきりしていて「ノー」とはっきりいうのが普通だったが、日本人スタッフと打ち合わせをしていると、アリスははっきりした意思を持っているにもかかわらず、(回りのスタッフに合わせて)日本人の感じ方に合わせようとして、“ノー”と言えなくなったのです。
そういうとき、自分の意見を説明をしようとすると、声(息)が出なくなった。「相手に悪い」と思って困って、日本語が出なくなったそうです。
そういうときも、母の助けを借りてなんとかやり過ごしたようです。
アリスは「嵐の海の中にいて、板が一枚しかなくて、その板が母だったのです」と、当時を偲んで話しています。
アリスの日常は
アリスは普通の日はめったにピアノに触れないそうです。
いつもギターをつま弾いたり、聴く音楽もクラシックじゃなく、サザンや吉幾三の『俺ら東京さ行ぐだ』のCDを嬉しそうに聴きます。
演奏会も待ち時間が嫌で、ギリギリまで自宅に居り、会場の控室でメークと着替えを10分、そして直前にまるでスーパーに買物に行く様子でステージに上がります(裸足で)。
「すごい拍手が沸いて、(聴衆が)ブラボーと叫んでくれている!」
「自分の言いたいことが、伝わってんだって感じて、音楽だと、肌の色、言葉で言うことも全然関係なく、どこへ行っても、みんな分かる言葉なんです」
そのとき、ようやくトンネルの出口が見えてきた
つまり、舞台の上という“安心して立っていられる場所(アイデンティティ)”が見つかった。
それは、音楽でなくてもいい。医学でもいい、国連で働くことでもいい、そういうバックグランドが得られると、人は安心できるのかもしれないのですね。
アリスはまだ20代
これからもっといろいろ経験を積んで大きなアーティストになって貰いたいです。