新山詩織

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デビュー記念日と同じ会場で“さよならライブ”・・・

アーティストデビュー6周年の記念日となる2018年12月12日、新山詩織が2月以来となるワンマンライブ<LIVE OF PAUSE 20181212 ~my place & your place~>渋谷WWWで開催した。
このライブハウスは2012年6月、当時高校2年生だった彼女が<Treasure Hunt ~ビーイングオーディション2012~>で優勝、アーティストへの道を掴んだ会場でした。

特別な日に、特別な場所で、特別な存在であるファンに囲まれながら、活動休止前最後のライブが行われたのでした。

デビュー時の新山は“ギター女子”ブームを牽引するひとりとして注目を浴びたほか、サウンドプロデュースを務めた笹路正徳から「音楽が天職の人」と評されるなど折り紙付き。ありのままの言葉でストレートに心情を描く歌は、10代や20代を中心に多くの共感を生んだ。

新山詩織「ありがとう」

新山詩織のプロフィール(公式ブログより)

新山詩織(にいやましおり)本名未公開、2012年に開催されたオーディションにおいて彼女は「詩織」という名前でエントリー

Birthday  1996年2月10日 23歳

height and  weight  160㎝・45㎏

Blood Type  A型

Home Town  埼玉県

Hobbies  詞を書くこと、写真を撮ること、料理をすること

Favorite Things  猫、お茶、おにぎり、陶器、空と電線

Favorite Musician  くるり、斉藤和義、椎名林檎、
チバユウスケ(The Birthday)、藤原基央(BUMP OF CHICKEN)、
フラワーカンパニーズ、
BOY 、Carole King、Lucy Rose、Mother Earth、Paul Weller
… and more

Favorite Writer  伊坂幸太郎・谷川俊太郎・山田詠美

favorite actor  木村文乃、橋本愛

Favorite Movie  「Life」「ONCE ダブリンの街角で」「はじまりのうた」「シング・ストリート 未来へのうた」

新山詩織

小学生の頃から、父親の影響で、70年~80年代のブルース・パンク・ロックを中心とした洋楽・邦楽を聴いて育つ。
ピアノを習っていたのだが、中学入学と同時に軽音楽部に所属。ガールズバンドを組み活動する。まずは自宅にあった父親のエレキギターを借り、リードギターを担当。曲により、リードVocalも担当。

中学卒業直前のある日、手に入れたばかりのアコースティックギターを手に、“もやもやした気持ちのやり場がなくて、衝動的に作った”という初オリジナル曲(作詞、作曲)『だからさ』が完成。

進学した高校には軽音楽部がなかった為、1年生(15歳)の夏頃から、「もっと音楽を真剣に演りたい!」という想いは強くなり、ギターと歌のレッスンを始める。(埼玉県立桶川高等学校)
創作活動も本格的に始めるなか、中学生の時のガールズバンドの経験しかない自分に危機感を感じ、「もっとたくさんの人に私の歌を聴いてもらうための修業が必要だ」と、新宿、大宮、池袋、渋谷などで、ストリートライブを行う。

高校2年生(16歳)の春、 “もがくだけの毎日を送っている自分を変えたかった”
という想いで、「Treasure Hunt~ビーイングオーディション2012~」に、“ 詩織 ”の名前で応募。
6月24日の最終審査で、オリジナル曲 『だからさ』、椎名林檎『丸の内サディスティック』を弾き語りで演奏し、グランプリ獲得。
「歌声に心を鷲掴みにされた」と審査員から絶賛を浴びた。

新山詩織 弾き語り ♪恋の中

新山詩織愛用のギターはFender GA-45SCE W/HC NAT

彼女はFenderのエレアコを3本持っているそうですが、一番良く見るのがこれGA-45SCE W/HC NATです。

リーズナブルな価格で高機能と大変人気のあったギターですが、もう製造されていません。
今 新品で買うと¥120.000ですが、中古品¥65.800位しか見当たりませんでした。

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突然の活動休止宣言=辞めた原因は何?

オフィシャルサイトにて2018年12月12日をもって活動休止を発表。「新たな夢に向かって頑張ります」と。

この突然の休止発表の原因は何かまったく不明でありSNSでは事務所に対する批判に集中していました。

『ビーイングは真っ黒だからな
B’zとTUBEと倉木麻衣以外は最初ちょっと売り出しても結局ポイ捨てだから』と。

私はそのなかでもSquizeの記事が一番しっくりくると思いましたので引用させていただきます。


《SQUIZE:こんなもんじゃない!新山詩織はビーイングの籠鳥か?》

新山詩織による初のベストアルバム『しおりごと-BEST-』が、2018年1月31日にリリースされた。

17歳のメジャーデビューから5周年を記念してリリースされたこのベストアルバムは、数々のアーティストとの共演や、TVドラマへの出演、楽曲のタイアップ起用など幅広い新山詩織の活動の軌跡が詰まったアルバムになっている。
新山詩織は若干16歳でビーイングオーディション2012においてグランプリを受賞し、翌年の2013年「ゆれるユレル」でメジャーデビューした。

現在までにシングルを9枚、アルバムを3枚リリースしている。サウンドプロデューサーとしてCharaを迎えた最新シングル「さよなら私の恋心」を除くすべてのシングルは、いずれも何かしらのタイアップソングとなっている。

シングル以外にも、映画『古都』エンディングテーマとして起用された中島みゆきのカバー「糸」や、『冬スポ WINTER SPORTS FESTA 16』の公式テーマソングとなった「Snow Smile」、日本財団『子どもサポートプロジェクト』のCMで話題となったKANのカバー「愛は勝つ」など、とにかくタイアップが多い。さすが腐ってもビーイングである。

そんな手厚いプロモーションをされている新山詩織だが、その存在感のある声と圧倒的なタイアッププロモーションとは裏腹に、リリースされたシングルは同年代のシンガーソングライターである藤原さくらや井上苑子に比べて今一歩振るわない状況である。

今どき、シングルのランキングなど気にすることでもないが、ベストアルバムを飾る様な会心のヒットと呼べる楽曲も無く、一連のギター女子ブームの中でも「新山詩織らしさ」というものが表わされていないような気がする。

90年代に一世を風靡したビーイング所属のアーチスト達のヒットは、そのほとんどがCMやメディアでタイアップされており、当時のビーイングを代表するZARDなどは、メディアにはほとんど露出しないながらも、歌だけは良く耳にするという状況を作り出し空前のヒットを生み出している。

そんなビーイングのオーディションによって、言わば”発掘”された若い才能である新山詩織は、デビュー早々にビーイングの庇護の元でアーティストとして活動を続けているが、そのパブリックイメージは、非常にビーイング的だ。
いやビーイング的というか、早逝したZARDの坂井泉水が持っていた、芯のある女性らしさ、媚びることなく自立している爽やかさを持った女性らしさを踏襲している様に思う。
しかし、新山詩織は若干22歳である。デビューした17歳から22歳といえば最も多感な時期だと思うが、新山詩織のパブリックイメージはこの6年間ブレることなく均一化されている。

試しに、画像検索で新山詩織と同年代のシンガーソングライター、井上苑子、藤原さくらの両名のピックアップされる画像を見比べて欲しい。新山詩織の検索結果はほぼ変わらない髪形、シンプルな服装で、元々表情が乏しい事も相まって、まるで「人形」の様に見える。

彼女はアイドルではなくシンガーソングライターなのだから、見た目は多少”アレ”でも別にかまわないと思う。本人の意思でそのスタイルなのだとしたら大きなお世話であろう。
しかし、事務所の意向でパブリックイメージを固められているとしたら、「あたしはあたしのままで」と歌う彼女との間に齟齬(そご)は生まれないだろうか?

現在のギター女子ブームを先駆けたYUIは25歳の時に「YUI」としての活動を辞めてしまっている。
彼女が活動休止した理由は心理的なものだったが、その要因の一つに所属事務所がディレクションするパブリックイメージとの乖離があったとも言われている。

新山詩織のシングル曲の多くはミディアム~スローなナンバーが多いが、自身はルーツとしてThe Birthdayのチバユウスケの名を挙げており、ブルースロックやガレージロック、パンクなども聴いてきたという。

これはロック好きである筆者の趣味趣向によるものかもしれないが、テレキャスを担ぎ歌う新山詩織のロックナンバーは、アコギを抱えボソボソ歌う新山詩織より数倍魅力的に見える。

新山詩織はその歌声もアーティスト性も非常に高いポテンシャルを持っている。筆者が世界で一番「カッコいい女性」だと信じて止まないThe Pretendersのクリッシー・ハインドのようになってもらえると個人的には嬉しい限りだ。


要は事務所の売り方が前時代的で彼女の魅力を十分引き出せていなかった、という風に思ったのです。

デビューして6年、新山詩織はまだまだ「こんなもんじゃない」気がしてならないのです。

早く帰ってきて‼ と叫びたい。

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