柳美里

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NHK あさイチ「プレミアムトーク」に出演

2019年6月21日のNHK「あさイチ」に芥川賞作家で、現在は福島・南相馬で本屋も営む柳美里さんを迎えました。

彼女が幼少期から続いたイジメ、一家離散、自殺未遂、家出・・・波乱に満ちた人生のすべてを、これまで作品に忠実に表現してきました。
31歳のときに発表した小説『命』では、シングルマザーとしての出産、子どもを持つことをあと押ししてくれたかつての恋人のガン闘病など、当時、柳さんが体験していた日々を赤裸々につづって、70万部を超えるベストセラーになりました。
そんな柳さんが、今なぜ、原発被災地福島の南相馬で本屋をやっているのか、柳さん自身、内面が180°変わったという南相馬の土地や人との出会いと、楽しい南相馬ライフを伺っていました。

柳美里という作家について

1968年6月22日茨城県土浦市にて生まれる。(現在51歳)
1972年 – 横浜市南区大岡に転居。
1973年 – 横浜市南区宮元町にある杉山神社幼稚園に入園。
1974年 – 横浜市立大岡小学校に入学。
1977年 – 横浜市西区境之谷に転居。横浜市立稲荷台小学校に転校。
1979年 – 父母別居に伴い、母と共に北鎌倉に転居。
1980年 – 横浜共立学園中学校に入学。
1983年 – 横浜共立学園高等学校に入学。1年で中途退学。
2015年 – 4月、神奈川県鎌倉市から福島県南相馬市原町区へ転居。
2017年 – 現在、福島県南相馬市原町区から小高区へ転居。
家族は長男と内縁の夫(柳朝晴氏)。父親は元・釘師。母親は不動産会社を経営

職業:小説家・劇作家

国籍:韓国

最終学歴:横浜共立学園高等学校中退

ジャンル:小説・戯曲・ノンフィクション

デビュー作:『石に泳ぐ魚』(1994年)

柳さんの悲惨な生い立ち

柳美里

おじいさん失踪~おばあさん失踪
凄まじい家庭環境

柳さんは、在日韓国人であることを、公表しています。

柳さんのおじいさんは、韓国で共産主義者だったことから、柳さんのおばあさんと、まだ子どもだった、柳さんのお母さんら子ども4人を捨てて、逃げるように単身日本へ渡る。おじいさんは、日本で、パチンコ店を経営されたそうです。

その後、おばあさんも、子どもたちを連れて、日本へおじいさんを探しに来るのですが、その頃、おじいさんには、すでに新しい家族が。

これに絶望したおばあさんは、子どもたちを置いて失踪してしまったのです。

お母さんがホステスに

その後、成長した柳さんのお母さんは結婚。
また、ご主人である、柳さんのお父さんは、おじいさんのパチンコ店で、釘師として働いていたのですが、柳さんが生まれて2ヶ月後には、おじいさんが信頼していた人に騙されてしまい、程なくして韓国に帰ったため、別のパチンコ店に再就職することに。

また、お母さんも、生活費を稼ぐため、キムチ売りの仕事をしていたのですが、「貯金が100万になった」、キャバレーのホステスになったほうがもっと稼げると、
叔母さん(お母さんの妹)に誘われて、ホステスとして働くように。

こうして、柳さんら兄弟4人は、両親が帰ってくる深夜まで、兄弟だけで過ごさなければならなくなったのでした。
(柳さんは、この頃から、ストレスで、額の生え際を引き抜いたり、左側の小鼻が、ピクピクと引きつるようになったそうです。)

お母さんが家出、お父さんから暴力、外ではいじめ

しかも、その後、お母さんが、ホステスで知り合った男性と付き合うようになり、柳さんの小学校卒業式の前日、家を出て行ってしまうと、その苛立ちからか、柳さんは、お父さんから暴力を振るわれるように。

そのうえ、柳さんは、そんな家庭環境からか、家の外でも、幼稚園の頃から、ずっといじめられ続け、さらには、自分が在日韓国人であることを隠し続けていることや、それを恥じている自分に罪悪感を感じられるなど、心の葛藤とも苦しみ続けられたのでした。

唯一の居場所は墓地

そんな柳さんがほっとできる場所は、墓地だけだったそうで、柳さんは、しばしば、墓地に行かれては、お墓の中にいる、亡くなった人たちと、会話されていたのだとか。
柳さんは、後に、
『自分は生きている人間たちよりも死んだ人間たちと親しく、彼らとしか打ち解けて話し合えなかった』
と、振り返っています。

そして、中学2年生の時には、手首を切ったり、冬の海に身を沈めるなど、自殺を図っては失敗し生き残る、ということを繰り返されたのでした。

演劇の道へ

その後、柳さんは、高校に進学されるのですが、家出を繰り返し、何度も補導されたことから、1年生の時、強制的に自主退学させられてしまいます。

また、この頃、柳さんは、家を出たお母さんと、一緒に住んでいたそうですが、お母さんと口論が絶えず、家を出たいと、切実に思うようになったことから、思いつきで、劇団「東京キッドブラサース」の、オーディションを受けると、見事合格。

それからというもの、柳さんは、みるみる演劇にのめり込まれたそうで、演じることで、これまで抑えてきた感情を、解放していった。

東由多加(ひがしゆたか)との出会い

東由多加とは「東京キッドブラザース」入団後まもなくの16歳の頃から(東は当時39歳)約8年間同棲し、別れた後も東の死去まで交流があった。18歳の時、東由多加に「あなたは演じるより書きなさい」とアドバイスされ、以後は舞台女優としてではなく、劇作家として演劇に携わるようになった。

柳さんは既婚者である男性との間に長男を妊娠し、結局その男性と破局した際も東由多加はよき相談相手であった。

東が2000年4月に死去するまでの3ヶ月間、柳の長男を一緒に育てたが東の臨終には立ち会えなかった。
東由多加の葬儀の際は葬儀委員長を務める。その際、「私のたった1人の師で、柳美里という作家を生み出した人。最期をみとれず悔しい」と語った。

初の児童書であり、初の書下ろしである『月へのぼったケンタロウくん』は、2000年4月に死去した東由多加との「生まれてくる子どものために物語を残そう」という約束を叶えたものだ。

文才を発揮

また、この頃、柳さんは、何も考えずに書くことを始められたそうで、
1987年に、劇団「青春五月党」を結成すると、翌年の1988年には、劇作家、演出家としてのデビュー作、「水の中の友へ」で旗揚げ公演。

その後も、
1988年「棘を失くした時計」
1989年「石に泳ぐ魚」
1990年「静物画」「月の斑点」
1991年「春の消息」「向日葵の柩」
1992年「魚の祭」
と、公演を重ねると、
1993年、24歳の時には、「魚の祭」で、「第37回岸田國士戯曲賞」を受賞されるなど、早くも文才を発揮していくのでした。

主な受賞歴

泉鏡花文学賞(1996年)
野間文芸新人賞(1996年)
芥川龍之介賞(1997年)
木山捷平文学賞(1999年)

2018年 自宅を改装し本屋「フルハウス」を開店


在日韓国人というコンプレックス、複雑な家庭環境、幼い頃からのいじめ自殺未遂、これらのマイナスと考えてしまうことも、柳美里にとっては今の柳美里をつくりあげた大切でプラスなものでした。

彼女は周りの人々よりも、自分を見つめ、考える時間をたくさん与えられた人間だ。その与えられた長い時間の中で、自分は何者で、どこから来て、どこへゆくのか、柳美里は発見した。
そして彼女によって書き上げられた数多くの作品は、私たち読者に、孤独や死を考えて生きてゆくことの大切さ、そうすることによって自分自身を見つめ、自分が自分らしく生きること、他人と同じでなくてもいいのだということを教えてくれるのかもしれない。

現代の若者達は柳美里の作品を読むことで、自分自身を見つめ自分らしく生きていきたいという事を感じるのだろう。彼女の作品がベストセラーとなる背景には、時代や周りの人々に流されながら自分自身に絶望を感じている人々が数多く存在することが分かる。
それらの人々には、自分らしく生きている柳美里が幸せな人間に思えて仕方がなく、彼女の作品は、強烈な光をもって人々をとりこにするのです。

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