《私の生涯の中で最高に心に残るライフワーク。いいときに幕を下ろしてやったなって》
7月27日、ABCラジオ『上沼恵美子のこころ晴天』に出演した上沼恵美子。1995年の放送開始から25年続いた長寿番組『快傑えみちゃんねる』(関西テレビ)の終了に思いを馳せていた。
7月24日をもって突然の“打ち切り”となった同番組。事の発端は、6月29日の放送とされている。
『15年間レギュラーを務めていたキングコング梶原雄太を収録でこき下ろし、その内容が放送できないほどのものだったと言います。
間も無く梶原の降板が発表されたのですが、コンプライアンスがきびしくなっている昨今、しかも“お得意様”である吉本興業の芸人だけにカンテレもスルーするわけにはいかず、上沼さんと話し合いが設けられたと言います。
当初は“なんでも言うて”と穏やかに始まった面談ですが、彼女は“そこまで言われるなら辞めてやる”と激怒。取りつく島もなく番組終了に至ったと言います』(ワイドショースタッフより)
はたしてこれが真実なのだろうか?
梶原君をこき下ろすシーンは毎回の恒例行事のようなもので、関西人なら『ああ またいつもの』となります。
「怒り」とは程遠い気遣いの人
関西芸能界に君臨する“西の女帝”上沼だけに、“暴君”ぶりを発揮した結果なのだろうか。しかし、一連の報道に「“えっ?”と不思議に思った」と首を傾げるのは芸能ジャーナリストの佐々木博之氏。彼は上沼と共演を重ねている。
『番組では出演者に悪口を言ったりこき下ろしたりと怖いイメージもあると思いますが、それは仕事上のことで普段はすごく気を使う人。あまり怒る印象はなく、声を荒げたりすることもなかったと思います。むしろスタッフにも人数分の差し入れをしたりと、周囲がよく見える人ですよ。
それに、上沼さんのしゃべりがおもしろくて高視聴率をとっている番組。スタッフも気持ちよく仕事をしてほしいと思っているわけで、わざわざ怒らせるような事を言わないと思います。何を言われたのか、よほどのことでないと、あの上沼さんが“やってられない”とはなりませんよ』
とはいえ、上沼も今年4月で65歳を迎えた、いわゆる「前期高齢者」だ。近年、“キレる高齢者”が社会問題としても取り沙汰されるだけに、いくら若々しい彼女と言えども、同様に加齢によって怒りを爆発させてしまったのか……。
「アンガーマネジメントの領域から言いますと、一概に“65歳以上の高齢者の方たちが全員怒りやすくなる”とはならないと考えています」
とは、怒り感情のケアやコントロールという側面から企業への研修やセミナーを開いている、一般財団法人日本アンガーマネジメント協会の戸田久実理事。
「そもそも“怒り”とは、“べき”という言葉に象徴される、自分の理想や願望、譲れない価値観が思い通りにならないときに生じる感情です。“挨拶は目下の人から先にするべき”“打ち合わせには5分前に集まるべき”など、人はそれぞれ様々な分野に及び“べき”をもっています。
年齢を重ねると経験値が増えていくわけですが、すると自分が“こうあるべき”と思っていることが、それこそが正しいと思い込みやすくなることがあります。例えば自分よりも年齢が若い目下の人が、自分の“こうあるべき”に当てはまらない言動をとった時に、“普通こうするよね”“これって常識だよね”と、高齢者の方は思い込む傾向にあります。そのため、怒りやすくなる人もいるということです」(と戸田理事が長々と解説する)
つまりは話し合いの中で、上沼が持っている“こうあるべき”から逸脱した意見を年下のスタッフから言われたのかもしれない。もちろん、悪気はないとしても、彼女にとってみれば己の経験とプライドを傷つけられた、とも考えられる。
これも実際そうなんだろうか?
「あんなこと言わなければ」
一方で、冒頭のラジオ番組では、関西テレビと対峙したとされる報道に「ケンカしてるってちょっと違う。関西テレビさんには足向けて寝られない」と、トーンダウンしていた上沼さん。
「怒りというのは、喜怒哀楽の感情の中でも特にエネルギーが強い感情です。“ついカッとなって”という言葉があるように、時に私たちは怒りが生じた瞬間に冷静な判断を失うケースがあるのです。アンガーマネジメントでは、イラッとしたり怒りが生じてから6秒経つと理性が働く、というふうに伝えています。
その間に、怒りに任せて暴言を吐くなど、衝動的な行動をしてしまう人もいます。そのため、後になって“あんなふうに言わなければよかった”“あんなことしなければよかった”と後悔する、自己嫌悪に陥る人もいるのです」(と戸田理事の弁)
まさに上沼は“ついカッとなり”、言ってしまった手前、自ら折れることができなかったのではないか。一方の局側はというと、
「あの温厚な上沼さんに、すごい剣幕で目の前で“辞めてやる”と言われて、“そこをなんとか続けてくださいよ”とは言えませんよ(苦笑)。おそらく場は凍りついて、誰も仲介に入れない状態だった。上沼さんの意見が覆されず、双方が平行したまま本当に番組終了までいってしまった、というのが実際のところではないでしょうか」(関西ローカル局ディレクターの予想)
前出の佐々木氏は、本来なら「仲介に入るべき人」が上沼のもとを去っていたことを明かす。
「長年にわたって上沼さんを支えていた、付き人兼マネージャーの女性が5月になって辞めてしまったんですね。その原因も、事務所内のゴタゴタがあったと言いますから、上沼さんも相当頭を悩ませていたことでしょう。マネージャーの退社後は事務所対応の窓口など、すべてをひとりで背負い込んでいたと言いますし、パニックを起こしていたのかもしれません。そこに今回の問題が発生したというわけです」
高齢者に「時代が違う」は禁句
今となってはどうしようもないが、『えみちゃんねる』終了は回避できなかったのだろうか。大経験を積んだベテランに対してどのような話し合いをすればよかったのか。
「例えば、相手が“私が若い時はこうだった”などの話を聞いた時、頭ごなしに否定するように“時代が違いますから”“それは古いですよ”と言ってしまえば怒らせてしまいますね。そうではなく、“そういう考えも大事ですよね”と1度受け止める姿勢を、共感的な理解を示すことが大事だと思います」(と、また戸田理事の弁)
4月に70歳の誕生日を迎えた“東の女帝”こと和田アキ子が7月25日、『ゴッドアフタヌーン アッコのいいかげんに1000回』(ニッポン放送)でこの騒動に言及した。彼女も長寿番組『アッコにおまかせ!』(TBS系)を35年間続けている。
《(もし私が怒って)拳上げて下せなかったのなら、私なんかはスタッフに(それを)下ろしてほしい。(私を)後ろから羽交い締めにしてでもね。私が間違ったことを言っちゃったら、ゴメンネって謝ったかもしれない》とのたまう。
その場でひと言謝る、それだけでも結果は違っていたのだろう。
しかし これも真実に基づいた結果なのだろうか?
上沼恵美子のプロフィール
本名 | 上沼 恵美子 |
生年月日 | 1955年4月13日(65歳) |
出身地 | 兵庫県淡路島 |
言語 | 日本語 |
最終学歴 | 帝国女子高等学校大和田校中退 |
コンビ名 | 海原千里・万里(1971年 ~ 1977年) |
事務所 | 上沼事務所 |
活動時期 | 1971年 ~ 1977年 1978年7月 ~ |
現在の代表番組 | 『上沼恵美子のこころ晴天』 『上沼恵美子のおしゃべりクッキング』 『上沼・高田のクギズケ!』 |
配偶者 | 上沼真平 |
親族 | 芦川百々子(姉) |
1971年に姉妹漫才「海原千里・万里」の海原千里としてデビュー。現役女子高生ながら軽快なトークとその愛らしいルックスで一躍人気を集め、76年にリリースした「大阪ラプソディー」が大ヒット。 しかし、翌年に電撃結婚。これを機にコンビを解散するも、タレント・上沼恵美子として活動を再開し、94~95年には『NHK紅白歌合戦』の司会を2年連続で務めた。その他、料理・バラエティ番組『上沼恵美子のおしゃべりクッキング』を始めテレビ・ラジオで多数の冠番組を持つ、関西を代表する女性タレントの1人。
夫は元関西テレビ所属のテレビ演出家、プロデューサー、常務取締役・制作局長、元メディアプルポ代表取締役会長の上沼真平。
遠戚に林家三平(2代目)などがいる。
上沼恵美子 こころ晴天 2020年7月27日 に、えみちゃんねる突然の終了理由を語る。
2時間20分ほどの放送の前半30分ほどで語っています。
コロナウイルス蔓延
コロナ禍の中番組もソーシャルディスタンスにのっとり、出演者は2m間隔を空けて着座し、視聴者参加を断っての番組進行は難しく芸人としてネタを振るのもぎこちなく、上沼の夫も最近は『もうただの話し合いの番組になってしまった』『至近距離でのやり取りが見ものなんだが、やりにくいだろう?』と。
女性セブンの記事
同誌によると上沼が収録本番中、梶原の態度を執拗に責め立て、その場面が『お蔵入り』になるという騒動があったといい、さらに梶原の悪評を上沼に吹聴していたのは、同番組の構成作家でもである上沼の次男とのこと。そして、上沼の不満は梶原だけでなく、関テレ本体にも向かうようになり、その果てに降板するに至ったようです。公式発表では、番組終了を決めたのは関テレ側ということになっていますが、要はそんな上沼に『付き合いきれなくなった』というのが実情でしょう。
さらに、7月22日付の「スポーツニッポン」では、上沼と長年連れ添った女性マネジャーが、5月末に退社したことも伝えられている。
「このNというマネジャーもまた、上沼次男の“被害者”と言われています。梶原のケースと同じく、息子からあることないことを吹き込まれた上沼は、ついには彼女を事務所から追い出してしまったとか。関テレからすれば、一連の騒動は“親離れ・子離れ”できない上沼母子の『暴走』にしか映らなかったと言います」(同誌)
岡村隆史の言及
7月9日深夜、お笑いコンビ「ナインティナイン」がパーソナリティを務める『ナインティナインのオールナイトニッポン』において岡村隆史が、タレント・上沼恵美子と「キングコング」梶原雄太の“パワハラ騒動”に言及した。
梶原は公私ともに上沼に可愛がってもらっていたことが有名で、上沼の番組に複数レギュラー出演していた。しかし『怪傑えみちゃんねる』で構成作家を務めていた上沼の次男が、梶原を陥れるようなネガティブキャンペーンをプロデューサーらに対して行ったことに影響され、上沼は梶原を放送中に叱責したと前出の「女性セブン」が報じた。
その後、梶原は上沼が司会を務めるレギュラー出演の2番組から降板することが発表された。それについて上沼は6月29日放送のラジオ『上沼恵美子のこころ晴天』(朝日放送ラジオ)で、
「梶原くんは東京から行ったり来たりするのがしんどいということで」
と“梶原の都合で降板した”と取れる発言をした。すると、これに対し梶原は自身のツイッターで、
《忙しくなって東京から行くのがしんどくなったから卒業したと僕が言った事実はございません》
と真っ向から反論し、泥沼化に発展した。上沼や梶原とも何度も共演している俳優の黒沢年雄も自身のブログで、
《梶原君は、お笑い芸人なんだから、上沼さんに、何を言われようが、受けてたって、会話で負けたら、最後に、本気でワンワン泣いて演技したら、番組が盛り上がり、その後の上沼さんの、フォローが見事にハマり、梶原君の、芸人の素晴らしさが評価されたと思う…。折角の芸人としての、立場のチャンスを逃したね》
と梶原の芸人としての立ち居振る舞いを批判。今度は梶原が黒澤に対しツイッターで、
《事情を知らなくて、現場にも居なくて、芸人でもないのに、、このような事を言われると非常に悲しいですね》
と噛みついたのだ。その後、黒沢が折れるような形で“今度一緒にゴルフに行こう”とブログに書いたが、思わぬ場外乱闘まで勃発した形だ。
そして吉本の先輩である岡村隆史は、ラジオで梶原から電話があったことを明かした。
「カジから“(番組を)やめる、っていうふうに言うたことありません”と言うとった」
「カジの場合はずっと長いことかわいがってもろうてて。しばらくたったら“すみません”って言うて謝りに行ってもいいんちゃうかな」
と内幕を暴露しながら、上沼への謝罪を勧めた。
岡村はさらに、星田英利(元ほっしゃん。)も上沼に昔は相当可愛がられていて、頻繁に番組に呼ばれていたが、上沼が「これおいしいやろ~?」と何かを勧めてきたときに、たまたまスマホを触っていたことで番組に呼ばれなくなったようだと明かした。上沼はその時“おいしいですね!”と言ってほしかったのだろうと岡村は推測した。
「上沼さんは梶原さんに高級時計を買ってあげるなど、寵愛していましたが、梶原さんがコロナ禍で収録がなくなり大阪に来られなくなると、連絡が途切れたことにヘソを曲げたと言われています。星田さんもそうですが、自分が愛情をかけたら同じくらい自分にも返してほしいタイプの人なんです。ちょっとでもぞんざいな態度で扱われたら“乙女心”に傷がつく。大御所というのは意外にガラスのハートなんですよ」(芸能リポーター)
7月6日放送されたラジオ『こころ晴天』では隔週で出演していた梶原に代わり、お笑いコンビ「祇園」が出演した。祇園は「怪傑―」で5年近く前説を担当している上沼“お気に入り”の芸人だ。
木﨑太郎はラジオに“金色のスーツ”を着てきたことを上沼にイジられると、
「これは上沼さんにもらった結婚祝いのお金で作らせてもらったスーツです!」
と明かした。すると上沼は、
「祇園はね、いつもあちこちでこれを言うてくれるんです。いや~何かあったら言うてね」
と梶原に見せつけるかのごとく、ご機嫌な様子だった。
「逆に言うとその“ご祝儀エピソード”を引き出すために、上沼さんから金色のスーツいじりをしかけたような気もしますね(笑)。週刊誌に“苛烈パワハラ”と書かれて汚名返上したいという気持ちがあるかもしれません」(同・芸能リポーター)
「関西の女帝」である上沼の“お気に入り”となれば、番組にレギュラー出演でき大きな飛躍のチャンスになることは間違いない。だが、その瞬間から“外される”恐怖と戦いながら日々共演する日が始まるのかと思うと、「大御所との仕事は一歩間違えば地獄」と言い放った岡村の言葉は重い――。
よくある芸能界の事件だが、なかなか真実は見えてこないのです。
それでも私は藤山直美、横山やすし、島田紳助、上岡龍太郎、やしきたかじん、上沼恵美子が好きでたまりません。